「手」の不思議に触れた少年時代
私の原点は、幼少期の記憶にあります。 子供の頃の私は喘息(ぜんそく)がひどく、発作が出ると本当に苦しい思いをしていました。そんな時、親戚のおじさんの家で背中をさすってもらったり、中学の保健室の先生に手を当ててもらったりするだけで、あんなに苦しかった呼吸がスーッと楽になる。
「特別な道具も薬もないのに、なぜ?」 子供心に、人の手が持つ不思議な力、そして「誰にでもできること」が人を救うという事実に、強い衝撃を受けたのを覚えています。
遠回りの末に出会った「基礎医学」
その後、私は法学部を卒業しましたが、就職活動では内定がもらえず、あらゆるアルバイトを転々とする日々を送っていました。 そんな悶々とした時期、ふと思い出したのがあの「マッサージ」の記憶です。
まずは無資格のもみほぐし講習からスタートしたのですが、そこで出会った「解剖学・生理学」が面白くて、「もっと本格的に、人体の仕組みを学びたい。鍼灸の資格も取りたい」——。そう決意して学校の門を叩いたのは、27歳の時でした。
自分自身が「病のオンパレード」だったから
実は私自身、決して体が強い方ではありません。鍼灸学校に入ってからも2度入院を経験しています。特に副鼻腔炎の手術後、原因不明の激しい頭痛に襲われ、目を開けていることすらできず、勉強もままならない時期がありました。
その絶望的な状況を救ってくれたのが、先生が据えてくれた「お灸」でした。 一発で痛みが消え、その後二度と再発しなかったのです。
子供の頃、近所の民家でおばちゃんに打ってもらった「痛くない鍼」の記憶と、この「劇的な治癒体験」が重なり、私は一気に東洋医学の世界へのめり込みました。むさぼるように古い医学書を読み漁る日々が始まったのです。
数千年の歴史が証明する「ツボ」の力
鍼灸の歴史は、痛いところをなでる「手当て」から始まりました。 やがてツボの存在が見つけ出され、石や動物の角を経て、現在のステンレス製の鍼へと進化を遂げました。
面白いのは、5000年前のミイラ「アイスマン」の体にも、ツボの位置に合わせて刺青が見つかっていることです。東洋だけでなく、人類が古くから経験的に積み上げてきたこの「エビデンス」の大きさに、私はロマンを感じずにはいられません。
「食は医なり」——日々の積み重ねを大切に
コロナ禍を経て、私は改めて「未病治(みびょうち=病気になる前に整える)」の大切さを痛感しました。 現代医学の素晴らしさは言うまでもありませんが、一方で、古代の医師ヒポクラテスが「食は医なり」と言ったように、私たちの体は日々の食事や生活習慣でできています。
特別なことだけでなく、日頃のメンテナンスで「病気に負けない体」を作っていく。そのお手伝いをすることが、私の使命だと思っています。
最後に
ちなみに、鍼灸師を目指す人の中には、韓国ドラマの『ホジュン』や『馬医』を見て志した同級生もいました。鍼一本で運命を変えるような物語は、やはりワクワクしますよね。
私もそんな情熱を持ちつつ、皆様の「もっと肩をやってほしい」「ここが辛い」というリアルな声に寄り添える、身近な治療家でありたいと思っています。
